2010年12月23日

1300もの発明を行った発明の天才エジソンの秘密

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トーマス・アルヴァ・エジソンは1842年2月11日にアメリカに生まれました。
多くの伝記書でも知られるようにエジソンは小学校を中退しています。

ほとんど学校に行っていないエジソンが、どうして1300もの発明をすることができたのでしょうか?
学校に行っていないエジソンは母親に教育を受けました。
読み書きに始まり、様々な化学薬品を買い与えて科学関連の研究ができる用意を整えたと言います。

高等教育を受ける機会を失ったかわりに得た、母親による「自宅での独学に近い学習」によって、独自の発想やアイデアを生み出すことになったのかもしれません。

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エジソンは蓄音機、電話機、白熱電球など多くの発明を世に出し、世界を大きく変えました。

白熱電球の改良には、日本も一役を担っています。
何千もの材料の中から電球のフィラメント部分に使われたのは、京都の八幡男山の竹だったのです。
八幡男山の竹を使うことによって白熱電球の寿命は劇的に長くなりました。
ようやく白熱電球が実用化にこぎつけた瞬間です。
 
また、蓄音機でオーディオの世界の未来を広げ、映画の動画機を発明して35mmフィルムの規格を作り、トースターや電気アイロンなどの多くの電気製品を発明して「電気の時代」を到来させました。

その他にも1日3食の習慣は、一説にはエジソンがトースターの販売促進のために広めたものと言われています。

しかし、エジソンにまつわるエピソードは、輝かしいものばかりではありません。

1880年代、「エジソンの直流方式」と「テスラの交流方式」で激しい競争が繰り広げられました。
エジソンは交流の危険性を強調し印象づけるため、動物を処分する電源に交流を使ったり、死刑に使われる電気椅子の電源に交流を採用させたりするなど「ネガティブ・キャンペーン」を展開します。

ところが、1986年11月6日にナイアガラの滝を利用した発電所の送電システムに「テスラの交流送電システム」が採用されたのです。
これにより事実上の決着がつき、送電・配電の方式として「交流方式」が規格化されることになりました。

変圧しやすい交流は、高電圧で送電することによって送電コストを抑えられ、利用者の扱いやすい電圧に変圧できる「優位性」があったのです。

エジソンも交流の「優位性」を認識していましたが、彼は最後まで直流にこだわりました。
理由は、先述したエジソンの身の上にあります。

エジソンは優れた研究者、実験者でしたが、高度な教育を受ける機会がありませんでした。
そのため高度な数学や物理学の知識・能力を必要とする交流は、エジソンにとって扱いづらいものだったのです。

それまでの発明では、義務教育を受けなかった経験を強みにいくつもの実績をあげてきましたが、送電・配電方式においてはそれが敗因となってしまいました。
それでも、エジソンの与えた影響は計り知れず、彼の残した業績は送電・配電方式での敗戦をものともしません。

弱みを強みに変えてしまう逆転の発想――これが、エジソンの発明の秘密なのでしょう。

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